ケン・カークウッド
研究における脆弱な集団の問題は、非常に論争の多い問題です。この議論は非常に刺激的で啓発的ですが、その実用的な価値という点では誤った方向に進んでいます。現在の議論の多くに見られる誤りは、個人の主観的な感情的体験を客観的に定義しようとすること、さらに悪いことに、個人の体験のこの抽象的な標準化から保護しようとすることです。脆弱性に関する議論の目的は、搾取から自分の利益を完全に守る立場にない人々を保護することです。したがって、この記事のポイントは、脆弱性を運用化することの無益さを明確にし、研究倫理における主要な道徳的変数として搾取に焦点を当てることです。